便利になると、人は馬鹿になる。

最近、ハンズフリーホンとやらを使っている人を街なかで見かけるが、傍から見ると異様でしかない。

一人でしゃべっていることが、どれだけ狂気に映るのか分かってない。

スマホを持っているから成立するものを、スマホを持たずに歩いてどうする。

そのうえ、相手に聞き取りやすいようにと思うのか、かなり大きな声で話している人がいる。その姿は、完全にヤバイ奴。

「今の時代、常識でしょ。」とでも言いたげな顔で話しながら歩いているが、そんなにスマホを持つのが億劫か。そんなスマホが重いのか。

運転中や何かをしている時なら理解はできる。ハンズフリーの真骨頂。これほど便利なモノはない。

しかし、歩いているだけならスマホを持て。それがマナーだ。

中には、身振り手振りで話している人もいる。じゃあ、持て。身振り手振りするほど、手が空いているのならスマホを持て。それがマナーだ。

常識でしょ。と思っていることが、非常識。ただの迷惑。周りを見て歩け。

 

便利とは、私たちの生活には必要不可欠なもの。しかし、便利すぎるというものが、この世に多く存在する。それだけ聞くと、とてもいいことのように思えるかもしれないが、充分足りているところに余計なものをあれやこれやとくっつけてしまい、決して使い勝手のいいものではない。

それに特段、私たちの生活に必要なものでもないし、逆に不必要なものがてんこ盛り。

はっきり言ってしまえば、あってもなくてもどっちでっもいいようなものが、便利すぎるの正体。

便利すぎるは、便利の最上級の言葉ではない。

それに便利すぎると厄介だ。常識やモラルが欠如する。欠如するということは、周囲の目が気にならなくなるということ。

こうなると無敵だ。“恥”という感覚がなくなるのだから。

厚顔無恥。これほど害悪なものはなく。吠えまくる犬より質が悪い。

 

こういう人たちを見かけると、「日本は“恥”の文化なんだな。」と、つくづく思う。

“恥”という価値観を持っていれば、誰が見てるとか、見てないとか、バレる、バレないなど関係なく、自分にとってそれが“恥”だと思うと、発言や行動に自然と歯止めがかかる。ここに日本人としての、美学がある。

欧米人の「死ぬ前に懺悔をすればOK。」というような大雑把な考え方とは違うのだ。

 

国が豊かになると、自由がやたらと幅を利かせるから困ってしまう。

これも欧米の影響なのか?それとも先進国の宿痾なのか? なんだか、世知辛い世の中になってしまったものだ。

 

私も清廉潔白に生きているワケでもないし、人に自慢するような生き方をしてきたワケでもない。しかし、人様の迷惑にならないよう心掛け、毎日生きている。

そういう生き方は、別に難しい生き方ではない。誰にでもできること。

見栄えばかり気にして、“恥”を気にしてない人が多いように思える。

 

便利を一つ得るということは、恥を一つ捨てるということ。

たかがハンズフリーホン。されどハンズフリーホン。

人のフリー見て、我がフリー直せ。